わが子のかわいさを知って、神が人間をお守りくださることを悟れよ。
このみ教えから、神様が人間をどう思われているかが分かる。
自分の子供は、目の中に入れても痛くない、子供の難儀は自分が代わってあげたい、と親たちはよく言う。自分の子供でなくても、近所や街中で子供に会えば「かわいい子だな」と思ったり、泣いてる子供を見れば「どうしたの?」と、声をかけたくなることもあるが、親たちはさらに特別だ。
神様は、人間のことは誰しも愛おしく、助かって欲しい、幸せになって欲しいと願われている。それは「親」と同じなのだ言われる。何とありがたいことだろう!
親は子供が痛い思いをせぬよう、転ばぬ先の杖として、子供を叱ったり、駄々を諫めたりするが、それは、子供が更に不幸な方へ行かぬよう、困ることがないように、との思いから敢えて厳しいことを言うものだ。
それを思うと、日々ツライことや厳しい局面に立たされることもあるが、それも「神様からの転ばぬ先の杖」だと見方を変えたらどうだろう?
「信心していて何故このようなことばかりが起きてくるのか?」と、神様を恨めしく思うこともあるかもしれない。だが、この局面を通して私達が成長し、更なる幸せへの世界へ進めるよう、導いて下さっていると考えたら…今の辛さを乗り越える力を神様から頂き、未来を楽しみにすることが出来る。
人は何歳になっても成長し続け、自身が喜びの心で日々の役目を果たしていければ、それをご覧になる神様も喜んでくださるのだ。
実の親に喜んでもらいたい、と思うのと同様に、神様にも喜んでいただける働き、生き方が出来るよう、日々精進していきたいと願っている。(編集子)
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