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執筆者の写真金光教日本橋教会

今月のコラム(2024年4月)

教会参拝するには、時間もお金もかかる。お供えをしたいと思っても手元に余裕がなければ、ままならないこともある。

そんなジレンマを抱えながら参拝しても気持ちは晴れないし、苦に感じるようでは神様に心配をかけることになる。

例えお金に余裕があったとしても「これだけのお金があればあれが出来た」「これが買えた」といった不足心が出るようでは、神様もお喜びにはならないだろう。

 

ボランティアなどは無償であるが「困った人の助けになれば!」との思いから、目先の損得を顧みず行動する。少しでも力になり、相手が喜んでくれれば自分も嬉しい。

相手も喜び、自分も喜べる関係、これは「神様と人間の関係」に似ている。

 

神様は人間がかわいいとお思いになっているからこそ、無償で天地自然の恵みを与えてくださっている。それに対して神様は見返りを求めることもなく、人間が喜びの心で日々を嬉しく過ごしてくれれば尚お喜びになる。どんなに多くの恵みを与えても、不平不足ばかり並べ立て、自暴自棄に陥るような生き方をしていれば、神様のお心に悲しみが広がってしまうだろう。

 

教会参拝は、無償の愛と天地自然の大いなるお恵みを与えて下さっている神様に御礼の気持ちを向けることであり、自身が信心によって助かっていくことで、周囲の人達にも喜びの心が伝播していく、それを稽古するためにあるのだ。

 

自身も喜び、神様にも喜んでいただける生き方を学べる参拝を苦に感じたり、惜しみを感じては、神様からのたくさんのお土産(おかげ)を「要らない」と言って帰るようなものだ。そんなもったいない生き方ではなく、神様からのお土産をたくさん抱えて、日々嬉しく楽しく過ごさせていただきたいと願っている。(編集子)

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