教祖様のみ教えに「山へ行って木の切り株に腰をおろして休んでも、立つ時には礼を言う心持ちになれ」というのがある。
現代では山へ行くことも少ないし、木の切り株に座ることもほぼないだろう。
なので、これを現代風に置き換えるならば「職場に行くのに電車に乗ったら、降りる時にはここまで運んでくれてありがとう!という心持ちになれよ」とか、車、家電製品、パソコン、人、物…等、数え切れないほど多くのモノに1日中お世話になっているのだから、それらに「礼を言う心持ちになれよ」ということになる。
また、この教えがさらに奥深く示しているのは、そうした人やまだ使える人工物のみならず、道端にあった岩、捨て置かれている廃材を椅子代わりにたまたま腰かけたのだとしても、というのである。
衣食住において私達は恵まれた環境を享受しているが、それらが当たり前と思えば感謝の気持ちも湧かず、むしろ更に足りないことを探して不足心が起きがちだ。だが、それは決して当たり前ではなく、何かひとつでも不足すれば、一気に日々の生活に支障を来たし、場合によっては立ち行かなくなることもあるのだ。
万物を育んでくださる神様の大いなるお恵み、お働きにお世話にならなければ、1日だって生きてはいけない私達。それらに日々御礼を申していけば神様も喜ぶし、自身も喜びの心で満たされていく。
「世話になるすべてに礼を言う心」を忘れない自分でいたい。(編集子)
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